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2007年04月04日

●良気と悪気

以前にも何回か触れていますが、物事には波があります。そして好調の波と不調の波は交互にやってきて、周期もマチマチです。特に悪い波の時期にはまると、何をやってもうまくいかなくて悪循環に陥ります。

そういう時は、そういう時にしか出来ない事をするか、あえて悪い気をぶつけるかすると良いと書きました。

それ以外にもひとつ方法があります…それは神頼みです。え?神頼み?


いや、神様にお願いをすれば願いをかなえてくれるという、そんな都合の良い話ではありません。古来神様の存在するといわれている場所、それは神社やお寺、旧跡などなのですが、そういう場所には浄化作用や癒しの力があると思うのです。

悪い気の流れの時って、自分自身が問題の場合もあると思うんです。悪い方向にしか物事を考える事が出来ないとか、知らない間に自分が負の波動を撒き散らしているとか、人の事を思いやる事ができないとか…。

でも、時の移り変わりを感じさせない不変的な場所、それこそ神話の時代からの空気を感じさせる場所…こういう場所は、そういうのを浄化してくれる何かがあると思うんです。そしてそういう場所には幾千年の時を見守ってきた大木が何本も存在します。樹木には人を癒す力があると思うのですが、そういう幾千年を経た力を直接大樹から得ると、なんか自分の体の中の気が浄化されたような気分にさえなるんです。


先日、私も伊勢神宮に行って、大木と対話し、木に手をかざし癒しの気をもらい(気なんて感じる力は無いんですけどね…なんとなくです)、遠い神話の世界、そして悠久の時間に想いを馳せました。「あー、このとてつもなく長い年月を考えると、自分の存在はなんてちっぽけなんだろう」などと思ったりもしました。

実は行く前には色々な事があったんです。思うように物事が進まなかったり、やる事成す事うまく行かなかったり、欺かれたり、落ち込まさせられたり…変な波の周期でした。しかもその周期が長かったんです。

でもそういう、癒しというか、心を落ち着かせる体験をして帰ってきたら、不思議と物事が好調の方向に向かっているんです。あー、問題は自分の内にあったのか…と。不思議ですがホントの話です。

ほんの数分でいいんです。悠久の時を刻んできた大木に触れ、目を閉じて気の流れを感じてみて下さい。きっと心がスッキリすると思います。そういう場所に身を置くだけでも違ってくると思います。

昔から「困った時の神頼み」と言いますが、神頼みの本質は、実はこういうところにあるのではないかと…。もちろんお礼も忘れずにする必要がありますよ。


PS.思考まで浄化されたのか、なんか帰ってきてから考え方も変わりました。思考が凝り固まってきたら、又行こうかな?^_^;





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